若冲

距離三十キロのトレイルといえども本戦への出場権を巡る一戦にて集うは猛者か。いやいや、そこは受験会場が如く不思議と周囲が賢く見えたりもするもので、とたかを括るに。晒す醜態、五年ぶり三度目の「棄権」となり。通称ハセツネこと日本山岳耐久レース。

前年の遭難者三名とか、兎に角も全てが自己責任にて出場にはココヘリ契約を必須とし。途中、関門あれども給水なく。つまりはスタート時の所持分でゴールまで。途中、ここで消費しては最後まで持たぬ、節約に節約を重ねるに朦朧とする意識、動かぬ足。かろうじて通過する最終関門。水さえあれば。それでも一リットル半は背負っていたのだけど。

後続に押し寄せる選手らは関門の通過ならず。疲労か脱水か、道路脇に横たわる数や三百を下らず。本来ならば送迎用のバスがゴールまで送り届けてくれるはずも一向に来る気配なく、刻一刻と過ぎる時間。往復一時間を要する中にあって輸送を担うは八人乗りワゴン車二台。まさかこれほどの人数になろうとは、と困惑の関係者。このままじっと待つ位ならば自らの足で、そう、彼らとて「猛者」だから。

されど、判断一つが生死を分けるが山の怖さ。救助を待つか自ら下山するか、まさに雪山の遭難なんぞ。本部の指示を仰がんとするも。早く下りねば日没が、苛立つ選手ら。じっと待つこと一時間にして下されし結論は、歩ける選手は歩いて下る、下山者のゼッケン確認は怠らず、先頭と最後尾は慣れた関係者が固め、隊列組んで無事に下山。ということでコースは完走、いや、完「歩」となり。参加賞ののらぼう菜が旨かったナ。

さて、つきまとう判断、と申してもこちらは既に。渡った以上は戻るに戻れぬルビコン川。せめてもの救いや先頭ゆくは本市ならず。そう、PFI手法による市場の運営。そして、訪ねるは京の台所、というよりも、私にはあの若冲で有名な、通称「錦」と呼ばれる京都市中央卸売市場。

相手方の説明を聞く中にあって気づかされる事実。確かに当初はそれが前提だった、が、今や「直営」と。過ちて改むるに憚ること云々なる格言は辞書になく、どれほど惨めな終焉を遂げようとも失敗を認めぬが役人、いや、認めぬどころか正当化する才に長け。とするとその前提を覆す背景には相当な理由が。

要求水準書とは外部に委託する際の仕様書、つまりは契約書が如き。ゆえに以降は全てその内容に則って判断が下され。それだけにまさに成否を握る命綱と申しても過言になく。仕様を固めんとするに欠かせぬは既存の関係者との協議。いかに効率化を図るか、これぞ最善と固めたはずが、いや、やはりこちらのほうが、なんて。深掘りすればするほどに気付かされる想定の甘さ、たびに設計の変更が生じ。ならば、いっそ直営のほうが、と。

何度となく重ねられる協議にいつしか縮まる両者の距離。反目から協調へ。互いに分かりあえる間柄となり。ならば費用面はどうか。検討に着手するは十年前、PFIを前提に算出された六百億円はそのままに。物価が二割増というに。そもそもに市場長の肩書を有するはおよそ役人であって、ゆえに現場に近く最もよく知るは彼ら、のはず。その気さえあれば。

右へ倣え、とは言わぬまでもそれだけの真剣度と過去に捉われず前提を覆す気概はあっても。

(令和6月4月5日/2845回)