御来光

「ノルウエィの森」以来、久々に同氏の本を読んだ。といっても文学作品ではなく紀行エッセイ。旅好きの夢叶わぬもんだから他人様の見聞録に想いを巡らせてみたりもするんだけど、その第一話の舞台が米国のボストン。米国の中でも歴史を有する東海岸のボストンは前職時代に訪れたことがあるんだけどその街並みが何とも良かった。作者は過去に居住歴があるらしく川沿いのコースを走るのが日課で何度か出場したボストンマラソンを絶賛していて...。そうか、ボストンマラソンか。
年始は後援会長と地元の神社への初詣というか元旦祭に出席するのが仕事始め。年越しの諸行事への配慮か元旦は遅めの出仕にて例年はぐっすりと寝込んでいるんだけど、一年の計は元旦にあり、今年はふと思い立って早朝から朝ランにて汗を流した。雪国の冬空はどんよりとした雲に覆われた日々が続くだけに初日の出などはまず無縁、高台から御来光を拝むなんてのはほんと数十年ぶりかもしれぬが神々しいもんだね。いいことありそうな予感。
さて、年末の記者会見で市長が一年を振り返り一字として「命」を挙げたというが、悲劇は繰り返される。千葉県柏市における死亡事件が昨年に本市の多摩川河川敷で起きた中学生死亡事件に重なった。後を絶たない未成年による残虐な事件。公職選挙法改正に伴い、この夏の参院選から18歳以上に拡大される選挙年齢。自由と規律がそうであるように権利と義務は表裏一体、権利の行使には社会的責務を果たさねばならぬ。少年法の適用年齢の見直しと厳罰化が議論されて久しいが、いわゆる「人権」派と呼ばれる方々を中心に加害者への同情や擁護論が根強い。
が、それを逆手にとった犯行となると話は別。そもそもに少年法自体が性善説に基づいて過ちを犯した加害者少年の更生を狙ったものだが、法の壁に阻まれることを狙って加害者が確信的な犯行に及ぶのであれば「逃げ得」は断固許さんという厳格な姿勢を示さねば他への示しがつかん。少年法の理念に則った児童養護施設や保護司の方々の献身的な活動は社会的に称賛されるべきものだけれどもその善意や寛容さが仇となっては本末転倒。ましてや残虐非道な事件を起こした少年が一部に英雄視されるようなことなどは絶対にあってはならんと。
実名報道などはSNSの普及により有名無実化しつつあるものの、被害者のみ実名が社会に晒されて加害者は阻まれるなんてのは理不尽に思えなくもない。犯した罪はそれ相応の報いを受けるべきであって、何よりも被害者遺族の悲痛な叫びが聞こえてくる。そんな被害者遺族に焦点を当てた-「「少年A」被害者遺族の慟哭」(藤井誠二著)-を読んだ。
少年犯罪には複雑な家庭事情が絡むことが少なくない。自らの子を失った被害者遺族の苦悩は筆舌に尽くしがたく、それで命が戻ってくる訳ではないが、子は勘当したから所在は知らぬなどと居直られて賠償請求も思うように進まず泣き寝入りに近い事例も少なくないとか。

川崎市議会議員 山崎なおふみ

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